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ニューヨーク 語学留学から得られること

Iさんの「英語屋」の仕事に就く前は、あのような若輩の身で会社創業者の演説の草稿を書くことになろうとは、想像したことさえなかった。 コミュニケーションの技術を正式に勉強したこともなかったので、正直なところ、あまり自信もなかった。
しかし、大学のサークル活動では英語の演説を多少かじったことがあったので、そこで学んだ名文句や修辞法を多少は活かすことができた。 スピーチ原稿を作るには、まずIさんの言いたいことを伺ってから、全体の構成を考えて草稿を書く。
そして、それをKさんに射影してもらいながら、Iさんにも読みやすい英文に修正していく。 この方法は、時間こそかなりかかったが、これで知識や経験に乏しい私でも、何とかスピーチ原稿を練り上げていくことができた。
スピーチの善し悪しを決めるのは、一にも二にも話の内容である。 何を言いたいのかがはっきりしないスピーチは、聞いていて悲しくなるほどつまらない。

残念ながらわが国の政財界人には、この手合いが多いようである。 実は一度、ある人から頼まれて、某代議士の海外でのスピーチを英訳したことがある。
スピーチの主題は、当時、日米間で問題になっていた貿易摩擦だったが、その代議士の事務所から最初に送られてきた日本語の草稿は、どこかの統計から引っぱり出してきた数字の羅列で、いったい何を主張したいのやらさっぱりわからない代物だった。 これでは使い物にならない。
結局、Kさんに頼んでもっと内容のある演説原稿を新たに書き起こしてもらい、私がそれを和文に翻訳したものとあわせて送ることにした。 その点、Iさんのスピーチには内容があった。
たとえば何かの賞の受賞スピーチでも、ソニーという会社が戦後、廃墟の東京から出発した生い立ちから、様々な失敗を克服して今日の成功に至ったことや、そこに至るまで貫いてきた企業理念まで、「言いたいこと」が実に豊富である。 だからこそ、草稿を起こす私もやりやすかったし、書いている自分自身でも読んで楽しめる内容の原稿ができた。
学生時代に私が教材として使ったのは、米英の政治家の演説原稿である。 なかでも、第35代合衆国大統領ジョン・F・Kの就任演説(1961年)は、歴代大統領の就任演説の中でも、ことに格調高い名演説として知られる。
学生時代の私は、実際の就任演説の録音テープを使って何度も口まねしては、サークルの仲間と競って暗唱したものだった。 その就任演説中の次の一節は、特に有名だ。
アメリカ国民諸君、国が自分に何をしてくれるかを問うのではなく、自分が国に何ができるかを問いたまえ。 世界中の市民諸君、アメリカが自分たちに何をしてくれるかを問うのではなく、自分たちがともに人類の自由のために何ができるかを問いたまえ。
米国史上でも最も人気の高かった大統領のこの力強い対句表現は、いまなお私の頭の中に反響してくる。 実は、Iさんが体調不全で出席できなかった、さる賞の授賞式に代理出席したソニーの役員にスピーチの代読を頼んだとき、その最後の部分にこのマッカーサー元帥のフレーズを借用したことがある。

いわく、「Iさんをこれほどまでに創造的な仕事に導いたものは何でしょうか。 名声や富、それとも名誉でしょうか。
そうではなく、彼はただ単に、神の指し示した義務に従い、自分の希望と夢を満足させようとしたに過ぎません…」残念ながら私自身は、このスピーチを直接耳にする機会はなかったが、あとから聞いたところでは、聴衆の受けはかなり良かった由。 何にでも興味を持って勉強しておくと、あとから役に立つことがあるものだ。
Iさんのスピーチの「芯」もちろん、修辞ばかりで話の内容や主張に欠けるスピーチでは印象に残らない。 だが、Iさんのスピーチには話の「芯」となる主張があった。
Iさんがソニーの創業者としてスピーチする場合、その原稿にいつも入っていたのは、たとえば次のような主張だった。 「会社の創業以来、絶対に『人のマネをしない』ことを信条としてきた」「最高の技術を、軍事用ではなくて民生用(consumer)の分野に投入することを企業理念とし」「日本人は発明(invention)は不得手かもしれないが、技術革新(innovation)には長けている」そして、これらのIさんの主張を貫くキーワードが、「創造的であること」だった。
Iさんは、あまり色紙などを書かない人であったが、数少ない機会に書いた色紙には「創造」という2文字があったらしい。 このように、話の「芯」があったからこそ、そこからさらに肉付けをしていくことによって、内容の豊かな良いスピーチができたのだと思う。
若干インフォーマルな雰囲気でのスピーチなら、創業当時の失敗談など、話を多少、面白おかしく聞かせるエピソードを加えた。 会社の草創期に作った木製の「電気炊飯器」ではご飯がきちんと炊けなかったとか、「電気ざぶとん」が焦げそうになったとか、ソニーは面白い逸話にも事欠かない会社だった。
話し手の主張、つまり何を言いたいかをはっきりさせ、適当な話題を使って肉付けした上で、聞き手の印象に残るようなレトリックを適宜用いれば、それだけでなかなか良いスピーチに仕上がる。 だから、人前で良いスピーチをしたいと思ったら、話し手は自分なりの主張を持つことだ。

それなくして「何でもいいから、話す原稿を作ってほしい」と誰かに頼んだところで、けっして良いものは出てこない。 そういう意味で、Iさんという「主張がある人」の英語屋であった私は、良い仕事をさせてもらえた。
ちょっとしたユーモアを入れること私がソニーに入社したときの話。 入社式の席で挨拶に立ったIさんは開口一番、このように言って新入社員をどっと沸かせた。
「こんなにたくさん入って、大丈夫かなあ…」また、同じ入社式でM会長(当時)が次のように訓示したこともよく覚えている。 この言葉もまた違った形で会場の笑いを誘っていた。
「企業は船のようなものだ。 船を沈めるような人間はいらない。
そんな人間はさっさと船から降りてくれ」入社式について私の記憶に残っているのは、両トップのこの言葉だけである。 この二人の創業者がいかに傑出した話し上手であったかがよくわかる。
会社のイベントで挨拶をするときなど、いかにもとってつけたようなジョークを言う人がたまにいる。 おそらく本か何かの受け売りで、その場の雰囲気にも、またそのときの話題にもまつたく関係のない話だったりする。

また、通訳を使って挨拶をしているときにつまらない駄洒落を言う人がいるが、これは悪質な通訳泣かせである。 駄洒落など、解説をつけて通訳したところで面白くも何ともない。
このような話し手は、もともと国際的な舞台には向いていない。 その点、Iさんなどは、私が評価するのも俄組だが、たいしたコミュニケーターであった。
話の端々に、ちょっと相手を楽しませるような話題やユーモアを入れる。 しかも自分自身が本当に「話したいこと」を話すのだから、けっして無理なところがない。
スウェーデンの国王陛下がソニー本社を来訪されたときのIさんの挨拶が今でも私の心に残っているが、この話はまたあとに譲る。 話し慣れていない人が、無理に借りてきたような難しいジョークをスピーチに入れる必要はないと私は思う。

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